日日是好日
- yasmeditation
- 3月23日
- 読了時間: 2分
更新日:3月26日

「今日はいい天気だなぁ 日日是好日だなぁ」
「今日は楽しい仲間と素敵な時間を過ごしたなぁ 日日是好日なぁ」
このように、
天気がよかったから好い一日だった、
よいことがあったから好い一日だった。
といった際に使われることの多いこの言葉ですが、
現実の人生は、土砂降りの日もあり、涙の日もあり、
思い通りにならない日々のほうが多いのではないでしょうか。
そんな毎日を生きる私たちにこの言葉はどんな意味を持つでしょうか。
日日是好日は、都合のよいときだけ引っ張り出してきて
都合の悪いときは引っ込めたりする、そんな言葉ではありません。
この"好日"とは、良い悪い、好き嫌いの、"好い"ではありません。
そのような価値判断以前のすべてを絶対的に肯定する、
"絶対の好い"をいう言葉なのです。
ただ単に良いも悪いも受け入れるという
お行儀のよい"あるがまま"ですらありません。
それは、あたかも、おへそのあたりから全肯定の光を放ち
宇宙の端まで全てを肯定するような、
このちっぽけな心臓一個のこの命で、 宇宙ぜんぶを100:0で圧勝する
そんな絶対の全肯定の"好い"です。
そんな絶対の全肯定の日々では、涙が出る日は全身全霊で泣きます。
笑顔の日は全身全霊で笑います。
そこにちっぽけな良いとか悪いとかの価値判断の入り込む余地はありません。
過去への後悔も未来への恐れもみんな消し飛んだ宇宙いっぱいの大泣き、
宇宙いっぱいの大笑いがあるだけです。
すべての日々を、絶対の全肯定のいまここを生きる、
そしてそう生きる者にだけ訪れる絶対の自由の日々があります。
これをうたいあげた言葉が、日日是好日です。
ただし、この解釈がいいのだ、こうするべきなのだと、
頭で考えただけでは、ただの絵に描いた餅です。
瞑想によって、意味や価値を与える前の絶対のいまここ、
無条件の自由を知ることができます。
そのときはじめて日日是好日で生きることがわかります。
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